2014-12-21

良くも悪くも刺激的な精神世界



セカンドライフ非技術系 Advent Calendar 2014」で尊敬してやまないカリスマフォトグラファーのDriscol先生がセカンドライフの魅力を語ってくださいました。

先生の記事を読んで感じたこと、思ったことを短い言葉で綴ってみたいと思います。

セカンドライフ(Second Life):アメリカのリンデンラボが運営する、3DCGで構成されたインターネット上の仮想世界(メタバース)。

「この世界ってむき出しの精神の集合体。肉体という緩衝材がないから、あなたは精神と神経を露わにしながら、この世界で自分以外の全てと対峙している。そんな、とてもスピリチュアルな世界。」 (先生の記事から引用)

私も確かにそう感じます。肉体もさることながら、リアルライフの面倒なしがらみもないことから、思ったことを率直に伝えることができ、リアルライフよりも腹を割って話せたりします。大人になると、関係を悪くしないように当たり障りなくお付き合いしたりしますよね。

以前、セカンドライフの世界でどうにも我慢できないことがあって完全にキレてしまい、同期のフレンドにぶちまけたことがあったのですが、「そういう愚痴をもらしてくれる関係になれて嬉しい。」と言われ、驚きと喜びが入り混じった、非常に不思議な気持ちになったことを思い出しました。そのフレンドとは、今でもセカンドライフで会えないときはEメールで連絡をとったりするほど、何でも話せる仲になっています。

また、あるプロジェクトを一緒にやっていたフレンドが誰かに何か落ち度があったわけでもないのに揚げ足を取って内部を批判し始め、挙句の果てには外部に対する実演の際にも公に批判する行動に出ました。当の本人がやってきたことを否定するようなものなので、周りは本当に理解不能だったのですが、見るに見かねた責任者がその人を問い詰めたとき、「リアルライフの仕事でのストレスが限界で、あのような行動をとってしまった。今は反省している。」という言葉が返ってきました。リアルライフで感情を爆発させると仕事を辞めさせられることになりかねないため我慢したが、感情を率直に表現しやすいセカンドライフで爆発させてしまった、ということですね。

上記の内容はかなり極端な例ですが、セカンドライフは「良くも悪くも刺激的な精神世界」だと言えるでしょう。

この記事を書いていたら、ふと、幼少期におばあちゃんと一緒に見ていた水戸黄門のテーマソングの「人生楽ありゃ苦もあるさ」というフレーズを思い出してしまいました。セカンドライフはまさに第二の人生であることを物語っているように思います。エキサイティングなこの世界、まだまだ楽しみたいです。

2014-12-05

モニターの向こう側にいる人との絆


あるフレンドの記事から「セカンドライフ非技術系 Advent Calendar 2014」なるものがあることを知り、そのお題が「セカンドライフの魅力を語れ」だったので、せっかくですから参加してみることにしました。

魅力という言葉は非常に主観性が高いことから、ここではあくまで私個人の視点から自身の実体験を交えつつ、セカンドライフの魅力を語ってみたいと思います。

セカンドライフ(Second Life):アメリカのリンデンラボが運営する、3DCGで構成されたインターネット上の仮想世界(メタバース)。

もう一つの人生の始まり



2007年7月16日、私はセカンドライフの世界に生まれ落ちました。当時、日本でセカンドライフという仮想世界が話題になっていることを知った私は、リアルライフの友人に「あなたがやろうとしている中国語学習事業の一環として利用してはどうか」と提案したところ、本業の傍らお手伝いとしてセカンドライフ部門を担当することになりました。

この時点ではセカンドライフに何の魅力も感じておらず、始めたきっかけとは全くかけ離れたベクトルで、よもや7年以上も続けることになるとは思いもよりませんでした。

共通の趣味を持つ人との出会い



何はともあれ、何かを成し遂げるには人とのつながりが重要なので、とにかくいろいろな人と知り合おうと様々な場所に顔を出しました。当時はメディアでビジネス利用が取り沙汰されていたことで、今よりもセカンドライフの可能性に大きな期待を抱いていた人が多く、非常に活気づいていた記憶があります。また、人脈開拓の過程で知り合った方の中には私と同じアニメ好きな方が多かったので、共通の話題に花が咲き、いつしか個人的にのめり込んでいました。

私は中国北京在住です。北京は中国の中でも日本人が比較的多く住む場所ではありますが、その大部分は日本の本社から派遣された駐在員であり、任期が満了すれば帰国する一過性の人々です。それだけならまだいいのですが、やはり定住している上に中国朝鮮族と結婚している私とは余暇の楽しみ方、食べに行く場所等、何から何まで異なるために話題が合わず、私が好きなアニメの話とかになるとなおさらです。

ただ、趣味の話題に花が咲いたというだけだと「昔ウェブ上で流行っていたチャットルームでのおしゃべりと何が違うのか」という話になるかと思うので、チャットルームでのおしゃべりとの違いについて少し触れてみたいと思います。

想いが込められたアバター



セカンドライフでは、自らの分身であるアバターを操って様々な行為に及びます。このアバターは、目や鼻といった体の各部の形状をかなり自由に設定することができるほか、スキンや服装を変更することにより、黒人になったり、白人になったり、アニメの某キャラになりきったり、ひいては怪獣になったりと、思いのままにコーディネイトすることが可能です。

セカンドライフを長く楽しんでいる人のアバターを見ると、やはりそれだけ造り込まれていることが多く、モニターの向こう側でそれを操っている人が込めた想いの強さが伝わってきます。そういうアバターを前にして会話していると、モニターの向こう側でそれを操っている人と実際に対峙して会話しているような感覚に陥ることがあります。

これを錯覚という言葉で片付けてしまえばそれまでですが、そう錯覚させるだけの何かがあるのは確かです。バーチャルリアリティ(仮想現実)という言葉についてネット上で調べてみると、「コンピューターの中に作られた仮想的な世界を、あたかも現実のように体験させる技術」(出典:コトバンク)とありますが、セカンドライフは現時点においてこれをトップレベルで実現していると思います。

長く楽しめる自由な世界



テレビゲームのドラゴンクエストやファイナルファンタジーに熱中していた時期がありましたが、やがて物語が終盤に差し掛かると熱が冷めて遊ばなくなることが増え、最終的には遊び始めることもなくなりました。間もなくその世界で楽しめるものが無くなると思うと、急に虚しくなってしまうからです。

昨今のオンラインゲームはコミュニティ機能が比較的豊富で、マイホームを建てたり、仲間とギルドを結成したりと、一昔前のオフラインゲームより楽しみ方の幅が広がっていますが、やはり主にやることはモンスター討伐、取引成功等であり、それを中心として仲間になるため、基本的にはそれに役立てないと仲間であることの価値が激減してしまいます。もちろん、それに面白みを見出す方もいます。悪く言ってセカンドライフを持ち上げようとしているわけではなく、あくまで個人的な感想ですので、ご気分を害された方がいらっしゃいましたらお詫び致します。

セカンドライフに明確なゴールはありません。「○○を倒したら☓☓ゲット」といったクエストもありません。全てが自由なのです。アニメのコスプレをしてダンスを楽しんでもいいし、創作して販売してもいいし、豪華なマイホームを建ててセレブな気分を味わってもいいし、宝探し等のクエストを探して楽しんでもいいし、ゾンビを倒してスコアを競ってもいいし、ただひたすら人とのおしゃべりを楽しんでもいいのです。さらに、その過程で共通の趣味を持つ人と交流できるというのは非常に大きな魅力だと思います。

自己実現のためのツール



ただ、あまりに自由であるため、上で挙げたようなゲームに慣れている人にとっては面白くないどころか、むしろ苦痛になる可能性がありますが、その自由度の高さに魅力を感じ、楽しもうとする人がいるのもまた事実です。

私はまさに後者でした。リアルライフの友人が手がける中国語学習事業の一環として始めたセカンドライフでしたが、その過程で紅胡蝶というセカンドライフ内の音楽ユニットに参加し、グッズを製作することで創作に魅力を感じ始めました。

創作に明確なゴールはなく、「○○を作ったら☓☓ゲット」といったクエストもありません。極端な話、何も売れなくてもゲームオーバーにならないし、何を作っても良いのです。リアルライフに比べれば開店コストが非常に低いので比較的気軽に始めることができるし、余暇を利用するならリアルライフでは「作ってみたいけれど、売れなかったら大赤字になるからどうしよう」といった趣味のものも作りやすいです。

ちなみに、私はニーズをある程度把握して候補を絞り込み、その中で最も作りたいと思うものを作ることにしています。最悪、売れなくても構いません。毎回自分の中で課題を設定して作っているからです。最近作ったもので言えば、左右非対称のリグ入りメッシュが課題となります。

また、作りたいという意欲が沸かないときは絶対に作りません。創作とは想いの発露であり、義務感で作っても決して良いものはできないし、そんなものをリリースするのはお客さまに対して失礼だからです。私にとって、セカンドライフは自己実現のためのツールという側面も持っています。

モニターの向こう側にいる人との絆



友人の中国語学習事業、音楽ユニットに参加する中で、そしてお店を経営する中で様々な人と出会い、コミュニケーションを楽しみ、創作に限界を感じたらアニメのコスプレをして踊りました。創作していると作業場に篭りがちになるため、遊びに誘ってくれるフレンドには本当に感謝しています。

それらの過程で出会った人との間には絆が生じ、その絆は交流すればするほど強く太くなり、かけがえのない宝物としてまばゆい光を放つようになりました。同期のフレンドとの7年間にわたる思い出に至っては、言葉では語りつくせないほどです。5年越しにセカンドライフの中で同期の某フレンドに再会したときなどは思わず涙腺が緩んでしまいました。いつか帰って来てくれるかなと思いながら5年も待っていましたからね。

モニターの向こう側にいる人との絆が宝物として蓄積されていく、かめばかむほど味が出るスルメのようなこの世界は、まさにもう一つの人生です。セカンドライフ(第二の人生)とは、本当によく言ったものだと思います。